50代からは、人と比較しないようにしています。

50代60代からの自分探し

60才を過ぎて少し生活や感情をコントロールするようになってきました。
気が付けばものごころついたころから、「人と比較する」人生を歩んできたと思います。
特に私は中学から、「能力別クラス編成」なるもののシステムに組み込まれ、レッスンが落ちないようにするには、いかに下から数えて7人にはいるか という大変後ろ向きな「人と比較する」考え方を叩き込まれました。
それがいかに無意味でストレスかを整理してみました。

競争という社会の中で

ものごころついたころから、人と比較する考えが自分の感情のベースにありました。
・あの人より成績が悪い。
・あの人は泳げるのに。
・平均より下だ。
・普通じゃない。
これは私だけでなく日本のいや世界の標準的な考えかもしれません。たとえばよく使う言葉が、「負け組。勝ち組」
勝ち組にはいったのが幸せなのでしょうか。なんでいちいち人と比較して、しかもグループ化までするのでしょうか。
60才を過ぎて、これから第二の人生を謳歌していく中で。「私はあの人より、そして普通より幸せだ」と感じるのでしょうか。幸せって、相対評価ではなく絶対評価だと思うようになりました。

外部の人とではなく、無意味な社内の人との比較

その比較する相手が、まだ大きな視点であればいいです。
・学校だったら他校の優秀な人、
・会社だったら他社と比較して自社は弱い、
・日本は外国と比べてプロセスができていない
ならば、まだ価値のある比較です。
でも多くの場合が、自分の身近な人、同僚だったり、近所の人だったり、親戚だったり。
本当につまらないこと、狭い世界での「人との比較」です。

実は今でも人と比較してあいつよりましと安心している自分がいる

ところが、実は今まで述べたことは、自分が実行できていないことです。
自分に言い聞かせていることです。
どうしても身近な人と比べて、
「自分はあの人とは、この点で優れているからいいんだ」
と安心してしまう自分がいます。
また劣っている点があると
「あの人と私は違う」
と言い聞かせて、納得させて、避けようとしてしまいます。
時には相手を論破して、
「あいつに勝った!」
などと優越感に浸ります。
そんな自分が情けないです。
60才過ぎても自分はまだまだです。

昨日の自分と比較して成長しよう

ではどうしたらいいか。
いつももう一つ言い聞かせていることがあります。
「昨日の自分より成長しよう!」
60才を過ぎると、自分のキャリアに自信を持ちすぎて、その得意とする領域から出るのが億劫になります。人を上から見て、仕事ができるかできないかだけで評価して、人から吸収すること=話を聞くことよりも自分の経験値を発散する=すぐ自分のことを話す。ことになりがちです。
60才を過ぎて人生豊かに過ごすには、これから自分がどれくらい成長して社会に貢献するかだと私は思っています。それには勉強も必要ですし、チャレンジも必要ですし、両若男女世界中から多くのことを吸収していかなければいけないと思っています。
ところで、みなさんは人に「ありがとう」と言っていますか。
それとも「ありがとうございます」と言っていますか。
年齢、上下関係関係なく、私は吸収させてもらい、成長させてもらい、感謝を込めて、だれにでも「ありがとうございます」
を言い続けることとします。

プロフィール
この記事を書いた人
イゴール

会社生活30年を過ぎたサラリーマン。2020年からヨーロッパ駐在中でスペインードイツースペインと引っ越し2021年末帰国。2024年ベトナム赴任。人生の後半から日本と海外生活を半分半分。次のキャリアで何をしたいか、仕事を続けながら現在進行形で自分探しを模索中。その活動の悩みや取り組みをぶろぐに残す。

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